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江戸・明治期の京焼の発展
2007.05.15
京都の焼物界に仁清、乾山という陶神が現れた江戸以降明治時代にかけて、日本の陶磁器技術はめざましい発展をとげました。
陶工達が研究・吸収していった中華式陶器様式のひとつに交趾焼(こうちやき)があります。交趾焼とは顔料を生地全体に塗りかけて焼いた色鮮やかな焼物です。京焼はこの交趾焼もみずからの作風に取り入れ、全国の焼物の中心となって発展するとともに、宮廷や諸大名、豪商等の注文を数多く受けて繁栄していきました。
江戸期化政・天保年間のころ、京都に清水六兵衛(しみず ろくべえ)・奥田頴川(おくだ えいせん)・青木木米(あおき もくべい)・仁阿弥道八(にんあみどうはち)・永楽保全等の名窯が輩出し、おもに茶道の茶碗や茶懐石の器として発展します。これらの窯のうち、六兵衛・道八・永楽家は現代までも脈々とその工芸技術を受け継ぎ、今や焼物業界のシンボル的な存在として活躍しています。
ここに掲載した京焼陶器は、うるはし堂で取り扱っております。お客様には1個のご注文から承り、ご注文分だけ制作したものをお届けします。詳しくは、お問い合わせください。